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いものブログです。海とSurfとたろうさん

逗子に移住したら友達ができた話

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我が家は夫婦そろって友達が少ない。

結婚式も誰を呼んだらいいか困ったあげく5人ほど呼んであとは会社関係で席を埋めた。
なぜ私が呼ばれたんだろうと思ったであろう薄い友人には申し訳なかったとおもう。うん、そんなに仲良くなかったよね。
 

まあ、それくらい友達が少ない。

 
 
そんな友達が少ない夫婦は、都営新宿線のヤンキーの集まるドンキホーテと牛丼チェーンをフルコンプリートした牛丼に困らない街に住み、週末は昼まで寝て、暗くなる頃にようやく動きだして豊洲のららぽに出かけては買い物し、ごはんを食べて帰るのが定番という、うんこみたいな生活をしていた。
 
 
そんなヤンキーと牛丼の街でぷつぷつと暮らしていたわれわれが突然逗子にマンションを買って移住し、こともあろうか四十路を目前にマリンスポーツをはじめた。
 
 
夫婦そろっていくらか人見知りなので、SUPスクールにも何度か通って徐々に「最近よく来る夫婦」と認知され、半年くらいでようやく仲良しさんができはじめた。夫婦どちらか欠けてもスクールに出られるようになった。
 
 
メンバーもインストラクターもご近所さんが大勢いるので自然とご近所つながりもできた。
浜辺を散歩していれば誰かしらに会って世間話をするし、平日の仕事帰りに駅で会えば「車で迎えが来てるから乗ってく?」なんていう間柄にまでなってしまった。
逗子には、われわれの存在を知ってくれてる人がたくさんいて居場所がある。
 
 
 
SUPのスクール仲間とは、SUP以外もいっしょにサーフィンしに行ったり、家で鍋パーティしたり。気づいたら毎週末一緒にすごしている。
 
 
これは「ともだち」と呼んでいいんだろうか。
 
 
ともだちの作り方なんてわかんないと思ってたけど、これはもうともだちなんじゃないか。
 
 
20代から30、40バラバラ、四十路のばばあがともだちだなんて、おこがましいんじゃないかとか、いろいろ考えちゃうけど、みんなと一緒にいると楽しいんだ。
 
 
 牛丼の街は便利だったけど知り合いなんて1人もいなかったし、よく行く居酒屋でさえ、スタッフの入れ替わりが早くて顔を覚えてもらうことすらできなかった。
思い切って逗子に移住していなかったら、おともだちもできなかったし、週末にはきっと今でも夫婦ふたりダラダラ過ごしてはららぽで無駄に買い物してただろう。
狭い狭い3階建ての屋上に庭のようなものがついた無難を具現化して建物にしたような建売住宅を買ってあのヤンキーの街に住んでいたかもしれないと思うとゾッとする。(これは実際契約してしまい、人生を考え直してこりゃイカンと解約した経緯がある)
 
 
なにがすごいって逗子に移住して本当によかったなあ〜と、毎日思ってる事がすごい。逗子はいいとこだねえ、と毎日のように話してはや15ヶ月。
悪いところが見つからないくらい好きだ。
 

今週のお題「好きな街」

 

 

(一度書いたのを間違えて消してしまったので書き直しました)